【旬季】人間四月天

もうそろそろ四月に入って、東京の街は柔らかい緑と淡い花の香りに包まれている。先週まで冷たい雨が降り続いて、桜の花びらはすっかり地面に散ってしまったけれど、四月の風はその冷たさを残りの花びらと一緒に運んで、どこかに新しい命の息吹を置いていくようだ。わたしは毎朝、会社まで歩く途中、川沿いの遊歩道を通る。去年植えられたばかりの欅の若葉は、指の先に触れるとふにゃふにゃと柔らかく、朝日を浴びて透明な緑に輝いている。風が吹くと、若葉の間から漏れる光が地面に水紋のように揺れ動いて、その様子を見ていると、心の中にたまっていた去年からのわだかまりが少しずつ溶けていくような気がする。

人間の四月といえば、わたしはどうしても故郷の四月を思い出す。故郷は長江の下流の小さな町で、四月になると町の周りの菜の花は一面黄色に染まって、遠くの山まで続いている。小学校の頃、毎週日曜日に祖母に連れられて、町外れの茶畑に茶を摘みに行った。茶畑の斜面は階段状になっていて、四月の新茶は柔らかい緑の芽が二つか三つずつ枝の先に出て、指先で摘むとほのかな香りが指に残る。祖母はいつも藍の染めの布を腰に巻いて、背中を丸めてゆっくりと茶を摘んでいた。風が吹くと、祖母の白い髪に茶の葉のかけらが引っかかって、わたしはそれを取って遊んだ。祖母はその度に口元を緩めて、「四月の茶は甘露だよ、今年の新茶を煎じて飲めば、一年中邪気を追い払えるんだ」と笑って言った。今でもその言葉を思い出すと、口の中にあの新茶の清々しい苦みと香りがよみがえってくる。

都会に来て十年になる。毎年四月になると、人々は桜を見に行列を作って、公園でお花見をするけれど、わたしはどうしても故郷の四月の匂いに勝るとは思えない。故郷の四月は、菜の花の甘い香り、土の湿った匂い、新茶の清々しい香りが混ざり合って、どこまでも生き生きとしている。都会の四月は、コーヒーショップの香り、車の排気ガスの臭い、ビルの壁の塗料の匂いが混ざって、どこかぎすぎすしているように感じる。だけど、去年の四月に、わたしは一人で休日に近くの公園を散歩していて、ベンチの隣に植わっている藤の花が満開になっているのを見つけた。淡い紫の房が垂れ下がって、風が吹くと甘い香りがふわっと漂ってきて、ベンチに座っていたわたしの服にまで香りがついた。その時、近くで幼稚園の遠足があって、子供たちの笑い声が風に乗って飛んできた。空は真っ青で、雲はふわふわと浮いていて、その瞬間、わたしはこの都会の四月も悪くないなと思った。

人は年を取るごとに、新しい季節の喜びを忘れがちになる。毎日同じように起きて、通勤して、仕事をして、帰って寝る、そんな繰り返しの中で、季節が変わることにも気づかなくなる。だけど四月は、そんな日常の扉をそっと開けてくれるようだ。三月までの寒さは完全に去って、五月の暑さはまだ来ていない、風は柔らかく、陽射しは暖かく、どこを歩いても新しい緑が目に入って、花の香りが鼻に届く。そんな季節は、何か新しいことを始めるのにぴったりだ。わたしはこの前、ずっと読もうと思って積んでおいた本を読み始めたし、毎朝少し早く起きて、散歩をするようになった。冷蔵庫にレモンを買って置いて、毎朝水に浮かべて飲むようにした。そんな小さな変化が、毎日の生活を少しずつ明るくしてくれる。先日故郷から母が荷物を送ってくれた。中には今年採れたばかりの新茶が入っていた。今朝、その茶を煎じて飲んだら、懐かしい香りが部屋中に広がった。窓の外からは柔らかい風が吹いて、カーテンがゆっくりと揺れている。わたしはコップを持って窓辺に立って、街の様子を眺めた。遠くの屋上には若い草が生えていて、近くの木々は緑に覆われて、道行く人たちは薄いジャケットを着て、ゆっくりと歩いている。四月は本当に、人間を柔らかく包んでくれる季節だ。何も急がなくても、何も焦らなくても、ただこの風と陽射しを感じていれば、それで十分幸せなのだと思う。この美しい四月が、いつまでも心の中に残ってくれればいいなと、わたしは静かに願っている。

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